2010-12-02

アドプト制度を導入して10年。
そして今、「笑働OSAKA」がスタートした。

大阪府副知事
小河 保之 さん
京都大学交通土木工学科卒業、大阪府出身。昭和44年4月大阪府入庁。

(取材日:H22.12)

地域の人たちと街の未来を
一緒に考えはじめた。

10年以上前です。僕が土木事務所の所長をしている頃、交差点部の歩道を拡幅して、そこに植樹をするという計画があったんです。この植樹に地域の人たちが積極的に参画してくださり、みんなで一緒に仕事をやり遂げることができて、「これはいいなぁ」と思いました。アドプトの第一号、「アドプト・ロード・たかはま」です。
当時は、道路は行政が管理して当たり前という意識が強く、「道路が汚れているからなんとかして欲しい」とか、「道路のゴミを撤去してほしい」といった、どちらかというと苦情や要望を聞くことが多かったんですね。そこで、もっと地域の人たちが参画して、府民と行政が一緒になって、街をきれいにできたらいいなという思いをずっと持っていたんです。

そんなとき、アメリカで始まっていた高速道路のアドプト活動を知って、「これだ!!」と。これが僕にとってのアドプトとの出会いで、大阪でもこういったことができないだろうかと考え始めました。そこで、最初に取り組んだのが、先ほどの吹田市の交差点の植樹事業。府の計画を地域の人たちに協力してもらうというよりも、一緒に計画していくという方法を試しました。僕がまず実践したのは、「自分たちの欲しい木を決めてください」と、地域の人たちに呼びかけていったんです。土木事務所の職員も賛同してくれて、みんなの気持ちが一体となった。「これは面白い!!」と思いました。植樹だけなくて、地域全体のことを地域の方も一緒になってみんなで考えていきたいと感じました。

昔は家の前に舗装していない道があって、大人がそこに御座をひいて将棋なんかをやっていたわけです。まさに自分の庭みたいなものでした。家の前の道は自分達できれいにすることが当たり前だったんです。ところが、それが舗装されて、道の幅が広がっていくと、目の前の道が自分達のものではなくなったわけです。もう一度、昔の発想にかえって、自分達の道を自分達で守っていくことができれば、街はもっと豊かになると思います。

「アドプト」の言葉が
広がりはじめた。

翌年、本庁の道路課長になり、街をみんなできれいにするためのアドプトプログラムを大阪で広げる努力をしました。

まずは、20箇所を目標に計画を立てました。そのときの予算要求で、「アドプトなんて、ようわからん」と当時の財政担当者に冷やかされたことを今でも覚えています。その時、私が啖呵を切ったのは「そのうち に、みんなが当たり前のようにアドプトって使うようになります」。だけど、正直、こんなに広がるとは思っていなかった(笑)。

なんとか予算措置された翌年は、本庁でアドプトのいろんな議論に参加していた若手のメンバーがちょうど現場に異動するタイミングでした。各土木事務所に散らばっていったそのメンバーが勢力的に動き出してくれた。撒いていた種が広がり、実を結んだ感じですね。その頃、若手のメンバーが作ってくれた「アドプト憲章」はたいしたもんです。「営業心得」もね。アドプトは押し付けるものではない。思いのある人に無理のない範囲で活動してもらうといった内容は素晴らしいと、今でも思っています。

駅周辺のアドプト活動が
これからの肝になる。

次に着目したのは駅です。富田林の近鉄喜志駅などの「駅前顔づくりプロジェクト」。ここでは、清掃や緑化だけでなく、地域の方と行政が一緒に地域のあり方を考え、そのために一緒に行動するという、アドプトの応用編ができました。駅っていうのは絶対に地域の顔なんですよね。たくさんの人が集まるようになると、もっとこうしたいとか、こんな風に変えていきたいとか、思いが膨らんでくるんです。

駅前開発や電鉄事業によって、駅前がきれいになる。ところが、それだけでは続いていかないんです。国からお金をもらって整備し、決められた人がいるときはきれいだけれど、何年か経つと組織がなくなっているんですね。パターン化して、特色がなくなる。しかし、地域の人がしっかりと携わっていると継続ができるわけです。よく職員に言うのですが、お金で人を引っ張ってはいけない、それでは絶対に続かない。できるだけたくさんの人が自発的に集ってからはじめなければいけないんです。

駅に関わる人といえば、まず電鉄、バス、商店街、近くの自治会があるでしょ。もうひとついうと、大学や集客施設のようにそこを通らなければいけないような有名なところ。

司馬遼太郎記念館のある近鉄八戸ノ里駅周辺では菜の花忌に併せて菜の花を街いっぱいに飾る菜の花プロジェクトもありますし、近鉄喜志駅前では大阪芸大さんとの取り組みが広がっています。なにかが地域の顔になると、誰もがその駅も大事にしてくれる。時間がかかりますよ。だけど、そうやって「駅を降りたら笑顔になるような街」にしていきたいと思うんです。

協働から笑働へ。
地域活動の転換期。

主役は府民、舞台は公共空間、それを演出したり、裏方の黒子役が行政。演劇に例えると府民と行政の役割がわかりやすい。
最近、自分自身のアドプトに対する認識がまた少しずつ変わってきています。アドプトというのは、確かに里親という意味で、道路や河川の育て親になってもらうというものですが、地域はもともとみんなのものじゃないですか。危険だからという理由で行政が管理をしてきた。だけど、本来は管理をさせてもらっているんだと思うんですね。だから、地域の方に、どうぞ好きに使ってくださいと。地域の人たちの意識が高くなってくると、それが一番いい。みんなのものだから、みんなが話し合って好きに使う。そのときに、不公平があっても駄目だし、本当に危ないところからは守らないといけない。この最小限のことを行政がさせてもらっているという気持ちになれば、それはまさに笑働につながるんじゃないかな。だから、アドプト10周年を契機にした「協働から笑働へ」は、いろんな意味で転換期だなと思っています。

先日、自宅のある泉北地域で、散歩の途中に、一人で黙々と道路を掃除してくださっている地域の方を見かけました。思わず、「ありがとうございます」と声をかけると、相手のほうも驚いた様子で「ありがとうございます」と。私はその日一日、とても気持ちのいい日を過ごしました。相手の方もそうだったんじゃないでしょうか。その方は自分の楽しみとして清掃していたかもしれません。それでも「ありがとう」の一言は、その方の思いや活動に敬意を示して応援することになり、また気持ちよく活動を続けていただけるでしょう。「感謝を表すことも笑働」というのを身をもって実感しました。

アドプトをはじめて10年。あの頃難しかったことが、徐々に実現しはじめ、当たり前にもなってきています。今の時代、仕事をリタイヤした、元気で意識の高い世代も増えています。若者のボランティアや地域活動への意識も高まっています。これからは意識の高い方がたくさん集って、自分達の地域を自分達で築いていくことがさらに進んでいくのではないでしょうか。笑働の輪がもっと大きく広がっていけばいいですね。