笑働OSAKA | [笑働スタッフボイス]梶間千晶さん

大阪府都市整備部事業管理室 副主査

梶間 千晶 さん
明石高専卒業後、大阪府職員へ。1997年採用。

花壇をつくるという発想が、 業者の不法占拠を減らした。

最初の配属は、土木監理課(現事業管理室)でした。当時は、まだまだ土木技術職の女性が少ない時代で、私は、お茶汲みの仕事で追われていました。でも技監視察の随行で、全出先事務所に連れて行ってもらえたり、今考えると、とっても恵まれていたと思います。
その後、西大阪治水事務所という、大阪市内の川を管理する事務所に4年間在籍しました。

大阪ドーム(現 京セラドーム大阪)が完成してすぐの頃、せっかくきれいに整備されたドーム周辺の川の一角を、建設資材を扱う業者の方等が不法占拠し、見苦しい場所がありました。もちろん、撤去指示はしていたんですが、長年の懸案だったんです。と、同時にせっかく川沿いなので、花壇を作りましょうよ、ということで、不法占拠のすぐ横に円形のベンチ花壇を作ったんです。

梶間さん

すぐ横は砂の山なので、景観は悪かったのですが。でも花壇を作ったことで人が訪れ、のんびり過ごす姿が見え始めると、横にそんなものがあってはマズいと思ったのか、そのうち撤退してくれたんです。今から15年近くも前で、まだまだ協働という言葉も知らない時でした。

今考えると、地域の人と協働で作り上げられたらよかったのに、と思うのですが、でも、何年かしてその場所へ行くと、地域の方が花を植えて花壇を管理してくれていたんです。感激と共に、私ってすごい、って思いました(笑)。後になって思ったのは、自分で考えたことが公共空間になるなんて、公務員って大きなスケールのことができる反面、その責任は重大だと思いました。

梶間さん

鳳レディースの存在が事務所内メンバーの
ポテンシャルを引き出した。

その後、鳳土木事務所に移るのですが、そこでは、女性メンバーで鳳レディースというチームで活動しました。鳳土木には、男性が9割・女性が1割くらいの比率だったんです。約130人所帯だったんですが、女性が13人で、たまたま13グループのひとりずついたんですよ。せっかくなんで、集まって意見交換しようということになり、それが笑働OSAKAでも苦労している内部連携がすごく上手にできた事例になりました。

もともと村上所長(現技監)がそれをイメージされていて、発案されたことで生まれたものなんです。子どものいる女性が多かったので、男性のように夜に懇親会などに行けないじゃないですか。だったら、勤務時間中に集まったらいいやんってことではじまったんです。勤務時間中に何してるねん!って怒る人もいるでしょうけど、提案してくださったのがトップの所長ですからやりやすかったですね。おやつの時間に集まって、いろんなアイデアを出し合いました。

コンセプトは「「オンナ力(おんなぢから)」を発揮します」。 職員のスキルアップを図るためのパソコン研修や、それを生かした不法投棄等の抑制看板の作成・事務所前の花植えやロビーの壁のペンキ塗り等、次々やってました。月に一度のレディース通信で、情報提供したり、サポートしてくれる職員を募ったりもしていました。このような通信を作ることが得意な人、PC操作に詳しい人、愛嬌でとにかく人を集めてくるのが得意な人・・・みんないろんな得意があって面白かったです。

実は出先の土木事務所って、草刈りやゴミを処理する現場の方が多い部署なんです。現場の作業ってルーチンなことが多くてモチベーションもあがりづらい面があるのですが、例えば事務所内にクリスマス風など季節にあったアレンジをすると、それだけでモチベーションがあがったりするんですよ。

梶間さん

花の好きな方の提案で事務所前の花壇を世話したりとか、「協働」を地域に言っていたのに「自分たちは何もしていないな、だったら事務所の中で協働できることをやろうよ」といった話になり、有意義な取り組みでした。 わりと職員の方たちの中には人がやっていることに無関心な一面もあったんですけど、これをはじめてからは、誰かが「花いっぱいプロジェクトやるから来て〜」というと人が来てくれたり。情報がスムーズに流れ、事務所内に協力体制がとれるようになりました。「男性職員からも広く募金(カツアゲ!?)を募って、活動資金にして、ここでも 「オンナ力」を発揮していましたね(笑)。」

鳳レディースでは、川のイベントのときに道路に案内パネルをつくってPRするとか、折り紙コーナーをつくって子どもが遊べるようにするとか、いろいろと自分の特技を引き出せる状況をつくりました。 よくこんな状況をつくることができたなあと思って、あとから村上所長にお聞きすると、「ナレッジの共有」を鳳レディースでやれると思ったから、とおっしゃっていました。良いモノを持ち合えばもっと楽にできる。所長がみんなに「やれ!」というと、なかなか壁があると思うけど、数人の女性からはじめたのは大きかったんだと思います。

職員みんなを巻き込んだオフィス改革を牽引し、
かねてからの課題を解決した。

「横つなぎする」のはなかなかうまくいかないのですが、実はすごい好きで、達成できるとすごい気持ちがいいなと思っています。交通道路室へ移動してからは、ハッピーオフィスプロジェクトを企画しました。 交通道路室は4課あるのですが、もともと3つの課がひとつの部屋を使用し、あとの1つは別の部屋だったんですよ。室長に見えない状態だったんです。交通道路室全体で110人ぐらい在籍しているんですが、なんとかこのひとつの部屋に、室長の目の届くところに入れたいというのが交通道路室ができてからの懸案で、それから10何年も経っていたのですが未完のまま。それを達成したのがこのプロジェクトです。

もともと私がいろんな企業に訪問させてもらっていて、企業はオフィス改革を意図的にやってきたことを目の当たりにしていたんですよ。企業の組織運営を左右する重要なポイントとしてオフィス改革やっていると教えてもらって。 交通道路室もお客さんにハッピーになってもらう。そして、オフィスをステージにというか、なんか入りやすい職場にしようよ、と言い出したんです。異動して2年目3年目ぐらいだったのですが、言いやすい状況を周りがつくってくれて。

それにうちのもともとの職場がすごくアンハッピーだったんです。なんせこう、すごく汚くて、極秘情報に対する危機感が少なく、隣で大きな声で話していてもまる聞こえで、廊下が物置だったり、入り口に入ったら本棚だったり。暗に帰ってほしいという雰囲気でした。

梶間さん

物置き化した廊下を通って会議スペースに辿り着くまで、ちょっとした小旅行でした。迷って帰れなくなったお客さまもおられます。それまでは掃除しようね、程度で危機感もありませんでした。だからチームをつくって警告シールを150個ぐらい付けることから始めました。
大そうじの日は荷物でエレベーターホールを占領してしまうくらい、みんな気合い入りすぎて、お客様にも迷惑をかけてしまいましたが、小河副知事が見に来てくださったり、橋下知事からは激励メールも頂いて、有難かったです。

これでひとつの部屋にいっしょになれたんですよ。そうするとLANとか電気工事が得意な人はそれをやり出すし、大工が得意な人は大工をやりだすし、面白かったですね。それぞれの持っている得意がすごく活かされるし、みんなも得意なことなのでイキイキしている。こんなことを通して「人が働く」という意義って感じられるんじゃないかなというのが、私の中であります。だけどここ府庁では、毎回企画する度に「これは仕事なのかどうか」という議論になります。普通の企業なら鳳レディースもオフィス改革も仕事のうちなのにね。

衣料メーカーのグンゼさんなんかは、スタンディングミーティングしかしないとか、その頃、企業まわりもしていたので、数々のそんな話を聞いていて、企業では当たり前のことを府庁でも共有したいなと思っていたんです。それから、いろんなことで、大阪府と個々につながっている企業や地域の活動なども1本の線じゃなくて、くもの巣みたいなつながりにして大きな力に変えたいなと思っていました。ちょうど、協働の象徴でもある、アドプトの10周年を目前に、今しかないと思ったんです。とにかく、そのあせりもあって、いろんなところで、何かやりたい。でもどうすればいいのかわからない。っていう話を口にしていました。アドプト10周年の平成22年度、FA宣言で事業管理室へ異動し、その担当をさせていただけることになりました。

梶間さん

企業と地域活動をつなぎ、
互いに活動しやすい状況以上の収穫があった。

元々、10年前にアドプトを始めてから、出会う「協働のカタチ」1つ1つがとても意味がありつながっていると思っていました。例えば、寝屋川市にトヨタ部品さんという企業があります。工場周辺の清掃活動もされていたのですが、それとは別に地域の方々も町の清掃活動をされていて。地域の方の悩みには、集合場所やトイレ休憩の確保がありました。それを知って互いを紹介したところ、「工場の駐車場やお手洗いを使ってもらったらいいですよ」と、工場の敷地をボランティア活動されている方たちに提供してくださりました。さらに日を合わせて、いっしょに協働で地域清掃をされるようになりました。

もともと、トヨタ部品さんは、工場の樹木の葉っぱが道路に飛んでくるといった地域からの苦情があり、清掃活動をされていたようですが、地域の方と協働で清掃活動することでコミュニケーションが生まれ、工場への苦情が減ったそうです。互いをよく知ることで思いやりが生まれたんだと思います。そんな事例は土木事務所にはいっぱいありますよ。ぜんぜんうまくアウトプットできていないだけで(笑)。

こういった協働が生む幸せのカタチを、もっともっと知ってもらっていろんな方に活用してもらいたいんです。協働活動がさまざまな地域に連鎖してゆき、しっかりと取り組んで協働の輪を広げていきたいんです。最初は小さなことかもしれないけれど、笑顔の輪が広がっていけば地域が暮らしやすい場になっていくと思います。

「協働から笑働へ」は、こんな経験から生まれました。

(取材日:H22.12)

梶間さん